あるアスリート

今年の6月、元アスリートが亡くなった。その名前はマルハ・シン。アジア大会で4つの金メダルを獲得している。オリンピックにもメルボルン、ローマ、東京と3回出場している。1960年のローマ大会では400メートルでインド記録を出した。しかし、世界の最高レベルには及ばす、メダル獲得とはならなかった。この記録がインドで破られたのが40年間後のことだ。続いて出場した200メートルでは3位の選手に0.1秒及ばず、銅メダルを逃した。

彼は貧しい農家に生まれた。インドは1947年にイギリスから独立したが、彼の生まれたパンジャープ州はインドとパキスタンに分断されることになった。家族はシーク教徒(シーク教徒はインド人口の1.7%を占める)であったが、周りにはイスラム教徒が多かった。なかには凶暴な集団もあり、ある日、彼のいる村に押し寄せ「イスラム教に改宗しろ。さもなければ殺すぞ」と脅し、大量殺戮を始めた。両親は喉を切られ、兄弟も斧で斬り付けられ殺された。彼はかろうじて森に逃げ込み助かった。住んでいた村はパキスタンに編入された。彼はインド軍に入隊し、優秀なランナーだと認められた。トレーニングに励み。各種の国際大会に出場、インドのプライドのために戦った。

選手であった頃、パキスタンに招待された。そこで国旗と花束で迎えられたことに驚いた。パキンスタンの相手に勝つと、パキスタンの大統領は「パキスタンは『快速のシーク教徒』という栄誉を貴方に与える」と称賛した。彼の祖国はインドとパキスタン、二つの国の架け橋になろうとしたが叶わなかった。インドとパキスタンの国境紛争の一日も早い解決を願うものだ。

児玉 博嗣

インドをはじめ、世界各地の火力発電所の発電設備の保守管理を技術面から サポートする仕事を30年以上、発電所の人たちと一緒に手がけてきた。 趣味は歴史書の読書、エッセイーや掌編小説の執筆、町の散策と多岐にわたる。 幅広い国際経験を生かし、インド・日本の双方のウィン・ウィンの関係の構築 に貢献したい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です