インドのカシミール地方の支配をその地方に任せずに中央政府のあるデーリーから直接支配することとしたとンモディ首相が発表した。しかし、そこに住むイスラム教徒が隔離されていると世界のメディアが報道している。モディ首相の率いるBJP(インド人民党)はヒンズー教至上主義をとっているためである。この問題の根底にはヒンズー教徒とイスラム教徒のせめぎ合いがある。
インドの歴史を辿るとそれが見えてくる。ヒンズー教はだいたい紀元前500年頃に成立したとされている。その後、インドはヒンズー教を信奉する王朝群の支配下にあった。一方、イスラム教は中東で7世紀に誕生した。その後、東のほうにも広まり、9世紀にはインドにまで達した。それ以降、インドの各地ではヒンズー王朝とイスラム王朝が出来てそれらが入り交じった状態が続いた。
しかし、タージ・マハルで有名なムガル帝国(イスラム国家)が16世紀初頭に誕生し、ほぼインド全土(現在のインド・パキスタン・バングラディシュ)を支配することになった。ムガル帝国はヒンズー教徒を改宗させることはせず、ヒンズー教徒とイスラム教徒が共存する形が続いていた。これはイギリスの植民地になってからも変わらなかった。
やがて、イギリスから独立することとなった。その際、現在のインドにいた多くのイスラム教徒はパキンスタン(現在のパキスタンとバングラディシュ)に移り、逆にパキスタンにいたヒンズー教徒はインドに移るという民族の大移動が起きた。その際、両教徒の間では血で血を洗うような争いもあった。ヒンズー教徒であったマハトマ・ガンジーはイムラム教徒を迫害する自国民を諌めようとしたため、熱狂的なヒンズー教徒に暗殺された。パキスタンは面積も小さく、農地も少ないため、すべてのイスラム教徒を受け入れることが出来ず、一部がインドに残った。現在でもインド人の7人に1人がイスラム教徒である。ちなみにパキスタンのヒンズー教徒は50人に1人以下である。普通は共存しているが深層心理には過去の歴史がある。インドは日本とはまったく違った成り立ちの国であることを理解しておくことも必要である。